1856
財布と札入れを製作する会社がルードヴィッヒ・クルムによって設立される。 新会社にはクルムの7人の息子に加え5人のスタッフが雇われる。 ほとんどの製品がロシアとポーランドに輸出される。 1875
ラゲージ製品を作り始める。 1881
ルードヴィッヒ・クルムは200人のスタッフを抱えるようになり、 英国でめざましい地位を得る。 |
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1886
創設者ルードヴィッヒ・クルムの死後、 息子のモリッツ、ハインリッヒ、アントン、そしてルードヴィッヒが事業を行う。 支社がロンドンに設立される。 1906
創立50周年を祝う。全製品の85%が他のヨーロッパ諸国に輸出される。 1922
第一次世界大戦後、ルードヴィッヒ・クルム合名会社は再びドイツと英国の市場を手中に収める。 会社の法人組織が同属経営法人になる。 モリッツ・クルム株式会社の最初の取締役となる。 |
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1924
型見本製作部門が設立される。 ドイツの皮革製品工業で最初のものであり、その後何年もの間、他には見られぬ唯一の部門であった。 1929
取締役ハインリッヒ・クルムはロンドンからパリへ旅行する際に豪華列車の“ゴールデン・アロー号”に乗る。 ブランド名“ゴールドファイル”が生まれる。 1931
輸出向けドイツ皮革製品の20%がゴールドファイルによって生産される。 常任の巡回セールスマンが雇われ、56か国をカバーする。 国内市場のすべての都市に店舗を持つ事業組織がスタートする。 |
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1937
ゴールドファイルのコレクションが パリ・ワールドフェアにおいてグランプリを獲得。 1945
第二次世界大戦が終結。オッフェンバッハの製作所の90%が破壊される。 1950
第一次会社再建段階が終了。再び35か国に輸出を開始。 |
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1952
ゴールドファイルのショップが再び西ドイツの主要都市であるベルリン、ハンブルク、フランクフルト、デュッセルドルフに作られる。 1956
ゴールドファイル・ルートヴィッヒ・クルム株式会社は創立100周年を祝う。 最初のディオール・バッグコレクションがライセンス生産される。 1975
クラウス・クルムが取締役に就任。 |
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1958
ブリュッセルのワールドフェアにおいて2度目のグランプリを獲得。 1972
代表作“スポーツ”の誕生。 世界の模範とされているエラガンスでスポーティなコレクションは、 現在“OXFORD”という名称で親しまれている。 |
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1977
およそ700人の従業員を持つ会社に発展する。総売上の80%が国内の売上によるものである。 残りの20%は45か国への輸出売上げであり、その主要輸出先はアメリカ合衆国である。 1981
創立125周年を祝う。この間に“スポーツ”(1972)、“カラチオラ”(1975)などの コレクションのイメージ定着のためのマーケティングが軌道に乗る。 ドイツから輸出される皮革製品のうち、アメリカ合衆国向けのおよそ四分の一、 極東向けの五分の一がゴールドファイルの製品である。 1982
国際販売網が拡大される。1987年までにマイアミ・東京・台北・パリ・ロンドン・香港・ メルボルン・メキシコシティーに新店舗が開設される。 1984
Jil Sanderとのライセンス協定により、 最高の品質・高級感・完璧なデザインを自明とする者同士がパートナーとなる。 1988
変化する市場の要求に合わせ、最新のブランドイメージを発展させる。 伝統的な黄金の矢のトレードマークが修正され、現在のロゴデザインとなる。 1988
ゴールドファイルは国際的なエガナグループの一員となる。 2003
日本初の旗艦店「コンテス・ゴールドファイル銀座店」を東京・銀座にオープンする。 2006
操業150周年を迎えた現在でも“どんな最新の技術を使っても、職人の感性以上の物はできない”という、 創業時からの精神をもとにトレンドを活かした製品作りを求め続ける。 2009
株式会社ゴールドファイル・インターナショナルが日本・中国・韓国・東南アジアのライセンスを取得する。 2011
ティーツーインターナショナルがライセンスを取得、ゴールドファイルの腕時計の取り扱いを開始する。 |